僕は彼女が指定した琵琶湖畔の温泉旅館に向った。僅か二年の空白期間だったのに、随分と会っていないような感覚に襲われた。受付で名前を告げると、何の問いかけもなく部屋へ案内された。いつものような彼女らしい用意周到な計らいだった。
部屋に入ると彼女はやさしく微笑んで迎えてくれた。「元気そうで良かった!」お茶を淹れながらそう言った。でも、どこか寂しさも漂っているのを僕は見逃さなかった。これは彼女にしては珍しいことだ。「何かあるな・・・」そう思った。
お互いの近況話や施設の他の人たちの沙汰話で小一時間が過ぎた。このままいきなり本題には入れない雰囲気だった。「これは食事が終わってからだな」僕はそう受け止めた。施設の仲間だった十数人はそれぞれに全国に散らばっていた。他の施設に移った人、まったくの実社会に転身した人、結婚して家庭に入った人・・・色々だった。
夕食の後、アルコールの力を借りてと言う感じで、彼女が切り出した。要旨は、親戚から結婚話があること、それを断るためにも結婚を約束してほしいこと、可能ならこのまま一緒に博多へ帰りたいこと・・・彼女は一気にそこまで話した。しばしの沈黙が流れた。僕はと言えば、迷いは無かった。ただ時間の性急さがイエスの答えを留まらせた。それに生活力のせの字もないプー太郎だ。また沈黙が続いた。
僕の心を察知したかのように彼女は言った。「生活なら私がなんとかするわ。あきお君はゆっくり仕事を探せばいいじゃん、ねっ」僕の心の中では、二人の自分が闘っていた。彼女の言う通りこのまま博多へついて行く自分と、「男の夢は、男の決意は何処へ行った」と言う自分と。どうしよう・・・彼女の立場になって考えれば、女性の二十五歳と言う壁は大きくて高い。当時の風潮ならなおさらだ。結婚適齢期なるものが彼女を圧迫しているのはよくわかる。またしても沈黙の時が流れた。
最終結論を言い出せないまま、二人は床に入った。彼女の温もりの中で涙が流れた。僕は母に抱かれた赤子のように彼女にしがみついていた。お互いの思い出に・・・と言うような時代背景ではなかった。処女性という命題は無言の圧力となって二人を金縛りにした。
僕は松江に居たころ、彼女と二人で施設を抜けだして観た映画「卒業」を思い出していた。年齢が逆なら、僕は同じことができただろうか?彼女を奪い去ることができただろうか?S&Gのメロディーが頭の中を駆け巡った。解き放たれたような爽快感も夢描いた。黒いストッキング、性の誘惑・・・現実と非現実の間で、僕の心は乱れた。