新校舎の一階の奥にある放送室は
当然ながら防音装置が万全で
入ると、すべての音が壁に吸い込まれるような
錯覚を覚えた。
ガラス越しの機械室からのサインに従って
僕は、ピン ポン パン ポ〜ン , ポン パン ポン ピ〜ン
と鉄琴を鳴らした。
「みなさん、こんにちは〜! まず今日のお知らせです・・・」
みんなは給食を食べている。
ぼくら放送部員はお預けだ。
合唱団員だったことも、理由の一つなのか
声の質が良かったのか・・・
500人くらいの中から抜擢された。
合唱団も放送部も、自分から手を挙げた記憶はないし
たぶん担任の田辺先生の推薦だったと思う。
給食を済ませたみんなが掃除をしている
ホコリもうもうのなかで
僕は冷めた給食を一人で食べなければならなかった。
毎日ではなかったから
たぶんもう一人アナウンス担当がいたと思うが
まったく思い出せない。
技術には宇野君いたような・・・
彼は今やフランス文学会の有名人だ。
歌にしろ放送にしろ
その後の勉学や職業に
まったく結びついていないのが情けない。
それもこれも、家庭崩壊と家出にある。