父逝けり 鶯鳴かぬ 極寒の日に
一世紀を生きた。
母に会えますか?
兄も姉も帰ってこない。帰れない。
祖父が亡くなった時、父が詠んだ句は・・・
父逝けり 鶯鳴けり また啼けり (一天)
俳号の<一天>は、何かの印刷ミスで、名前の<一夫>が<一天>になっていたからとか・・・そうだったんだろうか?
思い返せば・・・
兄姉たちと同じように、幼少のころ三度死にかけて
「またか・・・」と諦められて・・・
辛うじて生き延びたが、母は亡くなって・・・
継母のせいだけではないにしろ
結果として、家族は崩壊して・・・
僕は16歳で家を出た
辛いとも苦しいとも思わなかったが
傍から見れば
「どうしてそんなに苦しい方へ苦しい方へ行くの?」
と責められ、幾度もの別れを経験した
マザコンという言葉だけでは片づけられない
混沌とした精神状態の中で
巡り逢えた人たちの愛は深く大きかった
愛と現実の壁を体験し
幾度もの別れを余儀なくされて
僕はそれなりに鍛えられ磨かれたのかも知れない
父はいつも・・・
遠くから見守っていてくれた
数えきれないくらいの手紙をもらった
まるで自分の心の中を見透かされているようで
怖かった・・・
そして
嬉しかった
僕は
そんな父親でいるのだろうか?
足元にも及ばないような気がする
偉大な父だったのに
ずっと・・・ずっと・・・
「おとうさん」と言えなかった