「世の中にはね・・・たくさんの幸福にめぐまれながら、たった一つの不幸のために、自分を非常に不幸な人間だと思っている人もあるし・・・それかと思うと、不幸だらけの人間でありながら、自分で何かの幸福を見つけだして、勇ましく戦っていく人もある。・・・わかるかね。・・・よく考えてみるんだね。」
「次郎物語」下村湖人
次郎ほど、もの心はついていない年齢だったけれど、結局僕も継母を<おかあさん>とは呼べなかった。
多くの人たちに優しくされ、心配をされ育ったけれど、やはり次郎と同じく、必要以上に気を遣い、ピエロとなり、いつもこころのどこかで孤独を感じていた。
次郎にとっての乳母的存在が、僕の中では、年齢とともに、その存在を変えていった。
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(いっそ養子にでもやってしまおうか。)
俊亮は、ふとそんなことを考えてみたこともあった。しかし、それは彼の良心、〜というよりは、彼の次郎に対する愛情が許さなかった。
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当然ながら僕にも、養子の話も度々持ち上がったのだが、このことに関して・・・父は次郎の父・俊亮とまったく同じ考えであった。
時代性というのか、当時の祖父母の考えが如何に家族を支配していたかがわかる。