宇宙には一定の運動の後に、物体をもとへ戻す力が働いている。これが時間である。未来の極致と過去の極致とは、人間に見えないところで連なっているのだ。
世界の根源的な時間の形式は円環である。世界は始めなく、終わりがない。始めがなく終わりがないということは両端がないということであり、両端がない唯一の合理的な形は円環である。
時間が直線的であるならば過去がふえて、未来が減じつつあることになる。しかし、円環であるから過去も未来も増減しておらず、時間の絶対量は不変である。
時間において未来は先にゆけばゆくほど不鮮明になり、過去は遠ざかれば遠ざかるほど消失してくるのは、円をなして未来も過去も人間の現在的視点より埋没しているからにほかならない。だが、明日の無限の延長と昨日の無限の延長とは人間の現在点と対極をなすところで連なっている。
時間は客観的には停止することのない前方への流れ(時間の不可逆性)であり、それは大きな円環を描いてわれの背後にある時間の流れ(時間の回帰性)のなかへ音もなく注ぎこんでいる。
循環時間にあっては、未来はやがて過去になり、過去はやがて現在になる。あたかも現在が未来になりつつあるように。
日の出は日没の原因であると同時に、日の出は日没の結果である。
それゆえ、宇宙は回帰性をもち、したがって宇宙に起こる諸現象はすべて回帰性をもつのだ。一見非循環的現象であると思われるものでも、周期の長い大きな輪であることが分かる。
宇宙の連動、したがってその一部である生は終局なき円、もしくはそれに類する形であらわされ得る。
山縣三千雄 「人間」