背景の記憶(349)

差別の中でも一番堪えるのは【食べ物】ではなかろうか。

僕の三才の誕生日の明くる日に母が亡くなり、一年も経たないうちに義母が現れた。

もちろん僕自身にそうした実感があったわけではないが、兄と姉は強烈な拒絶反応を

示したのだった。そこから家族の分断が始まり、やがて崩壊の道を歩むことになった。

本来の六人兄弟から独りっ子になっ僕に、十年後義理の弟が誕生した。

兄や姉とは違って……というより何の理解力もなかった僕にとって、弟の誕生は、

それほどの違和感を感じることはなかった。しかし、その優しいお兄ちゃんは

いとも簡単に崩れさった。……と言っても、表面的には何ら変わることもなく、

僕の心の中が様変わりして行ったのだ。それは賎しいと思われるかもしれないが、

(食べ物の差別)だった。僕と義弟のおかずが明らかに差別されだしたのだった。

これはホントに堪えた。明らかに一品、二品、義弟の方が多いのである。

母性本能なのか、そこまでの差別意識は義母にはなかったのかもしれない。

もちろん僕はその心中の反感を表に出すことはなかった。でも、心の中には沸々と

煮えたぎるものが無かったかと言えば嘘になる。

小学生の僕が学んだ大人の教科書だったのかもしれない。

僕のピエロ性の始まりは此処からだと断言出来る。

己の持つ賎しさでもなく、乞食根性とも違う、なんとも言えない空白感。

逆に言えば、この時初めて、僕は(おかあさん)と叫んだのかも知れない。

何はともかく、母の懐に飛び込みたかったのだ。

posted by わたなべあきお | - | -

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