差別の中でも一番堪えるのは【食べ物】ではなかろうか。
僕の三才の誕生日の明くる日に母が亡くなり、一年も経たないうちに義母が現れた。
もちろん僕自身にそうした実感があったわけではないが、兄と姉は強烈な拒絶反応を
示したのだった。そこから家族の分断が始まり、やがて崩壊の道を歩むことになった。
本来の六人兄弟から独りっ子になっ僕に、十年後義理の弟が誕生した。
兄や姉とは違って……というより何の理解力もなかった僕にとって、弟の誕生は、
それほどの違和感を感じることはなかった。しかし、その優しいお兄ちゃんは
いとも簡単に崩れさった。……と言っても、表面的には何ら変わることもなく、
僕の心の中が様変わりして行ったのだ。それは賎しいと思われるかもしれないが、
(食べ物の差別)だった。僕と義弟のおかずが明らかに差別されだしたのだった。
これはホントに堪えた。明らかに一品、二品、義弟の方が多いのである。
母性本能なのか、そこまでの差別意識は義母にはなかったのかもしれない。
もちろん僕はその心中の反感を表に出すことはなかった。でも、心の中には沸々と
煮えたぎるものが無かったかと言えば嘘になる。
小学生の僕が学んだ大人の教科書だったのかもしれない。
僕のピエロ性の始まりは此処からだと断言出来る。
己の持つ賎しさでもなく、乞食根性とも違う、なんとも言えない空白感。
逆に言えば、この時初めて、僕は(おかあさん)と叫んだのかも知れない。
何はともかく、母の懐に飛び込みたかったのだ。