こゝろ

私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、けっして尊敬を払いうる程度にはなれなかった。あなたの考えにはなんらの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつにはあまりに若すぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなさそうな顔を私にちょいちょい見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれとせまった。私は心のうちで、はじめてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、ある生きたものをつらまえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、暖かく流れる血潮をすすりとろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのがいやであった。それで他日を約して、あなたの要求をしりぞけてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動がとまった時、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。

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私は冷やかな頭で新しいことを口にするよりも、熟した舌で平凡な説を述べるほうが生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にももっと強く働きかけることができるからです。

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            「こゝろ」【夏目漱石】
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posted by わたなべあきお | - | -

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