背景の記憶(314)

「もらい湯」と書けば、これは現代ではもはや死語かも知れない。

母の死後、父は再婚し、隠岐の島から松江に移住した。父は教師と言う仕事柄、

転任を繰り返したこともあり、僕は小学校を卒業するまで、ほぼ毎年転居を余儀な

くされた。ようやく義母の里の家に落ち着いたのが六年生の時だった。母屋の裏に

あった納屋を改造して、そこが僕たちの住まいとなった。兄と姉は、通学の都合や

義母への抵抗感が強く、母方の親戚に身を置いていた。

 建物の構造上、当然ながら風呂は無く、母屋のお風呂に入れてもらうことになっ

た。いわゆるもらい湯だ。五右衛門風呂だったから、その沸かし役は僕だった。

新聞紙で火種を作り枯れた松の木、そして薪という順番で沸かして行った。蛍の光

ではないが、その灯で本を読んだ記憶がある。

 僕たち家族が入れるのは当然ながら母屋の人たちの入浴後であり、日が代わるこ

ともしばしばだった。隣が寝室と言うこともあり、できるだけ音を立てないように

随分と気を遣った。

 こんなことの連続の中で、僕の性格は出来て行ったのかもしれない。いつも言う

<ピエロ性>だ。顔で笑って心で泣くいつもニコニコの<笑顔良しのあきちゃん>

だ。

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posted by わたなべあきお | comments (0) | trackbacks (0)

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