「給料は、ワシが払っとるんじゃ!」会議室に社長の声が響き渡った。深夜まで及んだ労使交渉、社員側代表の僕は言った。「社長、それを言っちゃあお終いですよ。もう此処までにしましょう」僕は立ち上がり会議室を後にした。同席していたほかの社員たちも僕の後に続いた。
この交渉の会議に持ち込むため、僕は事務員さんに秘かに頼み込んで、会社の経理状況を把握していた。言わば二重帳簿に近い経理が行われており、会社利益の八割もの額が社長親族に流れていた。同族会社の典型とは推測してはいたが、正直ここまでとは思わなかった。
その会議の後、僕は五人もの部下の送別会をした。年齢も若く、未来ある彼たちをこの会社に引き留めることは僕自身が許さなかった。もちろん僕も退職覚悟の上で。
僕が社長に退職届を提出した時、耳を疑うような言葉が返ってきた。「退職届は三カ月前に出すものだ。その日まで、お前は得意先には行かなくていい。電話も出なくていい。」何とも理解不能な言葉が返ってきた。退職金の額が知れているとは言え、妻や三人の幼子のことを思うと、この言葉には従わざるを得なかった。
後で分かったことだが、表向きには、僕は退職したことになっており、僕の担当していた得意先には、社長と社長夫人と次の担当者が廻ったらしい。そんなこととは知らず、僕は毎日、事務所で読書三昧の生活を余儀なくされた。
退職して三日も経たないうちに、担当してしていた得意先から自宅に電話がかかった。「渡部君、どうしたんだ?」「はあ、会社辞めました」「それならそれで、何故挨拶に来ない!ただ、担当が代わるだけでは納得いかない」「はあ?何処へも行くなと言われたもので・・・」「それにおまえの悪口を散々聞かされた。まさかお前がそんな奴とは思いもしなかったがな」「はあ・・・」「それで、これからどうするつもりなんだ?」「はあ、失業保険が貰えるんで、じっくり考えようと思っています」「まったく、別の業界に行くのなら別だが、同じことをするのなら、今すぐ来い!」
同じような電話が、僕が担当していた得意先から次々とかかってきた。最初に電話をくださった得意先に伺うと、こう言われた。「君が、独立するからよろしく頼むと言ってきたらこうは思わなかったかもしれない。それに社長がお前に暖簾分けでもするというくらいの器量があったら、こうは思わなかったかもしれない。それどころか、社長はお前の悪口を夫婦そろってならべたてたからな。お前がそんな奴とは思ってもいないから、その場は適当にして帰ってもらったんだ。」
退職後、わずか数週間の間に、担当していた得意先三十社のうちの、ほとんどが僕と契約を結んでくださった。失業保険どころか、雇われ人の頃の何倍もの仕事に追われることとなった。まさに嬉しい悲鳴とはこのことだ。
あれから数十年を経過して、あの会社が脱税と不正行為で新聞記事に載るほどの会社になり下がるとは思いもしなかった。しかも聞けば内部告発とのこと。僕よりも激しい正義感の持ち主がいたってことか。まるでテレビドラマでも見るような結末に、僕は自らに言い聞かせた。「正義は勝つ!」
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