彼女の告白メモの最後に「どこの大学ですか?」とあって、ちょっと戸惑った。たしかにバイト仲間には大学生が多く、僕のブランクは学業のためと見られていたようだ。同志社は垢抜けしたお坊ちゃま的シティボーイ、立命館は貧乏な苦学生的イメージが定着していた。もちろん京大を目指すランボーの詩集を離さない浪人生もいたが、大方はこの二大学で占められていた。僕は正直にぷー太郎ですと打ち明けた。彼女はちょっと驚いたようだったが、すぐに安堵の表情に変わった。彼女は母子家庭で親の助けのためデパ地下でバイトとして入っているとのことだった。
僕の低速(荷物用)のエレベーターの運転と彼女の休憩がマッチするときが二人の話せるタイミングだった。呼び出しのランプが点くまでの数分間、薄ぼんやりとした地下に停めて話をした。やはり、僕の好む女性イメージは、清楚、天然、微笑みに、集約されているようだった。彼女の話は、仲間には喋らないことにした。その秘密性が彼女へのせめてもの愛情表現と思いたかったのだ。
そんなウキウキ感での生活をしているときに、伊丹の従兄弟から手紙が届いた。彼も同じ施設の後輩だった。当時はもちろんケータイも無いし、連絡方法としては郵便に頼らざるを得なかった。内容はT子さんの御主人が交通事故に遭った〜と言うものだった。その事故内容や生死を含めた状況は分からないとのことだった。僕は何とも言えない暗い谷底に突き落とされたような気持だった。確かめたところでどうにもならないことだし、かと言ってそのまま無視もできないし・・・僕は悶々とした日々を過ごした。運命の悪戯とはこういうことかと、やり場のない怒りにも似た感情が湧き上がってきた。
「人は別離によって強くなれる」と誰かが言ったが、それはそうかもしれないけれども、その当座はそこまで客観的には自分を見つめられない。わがことのように打ちひしがれた自分にオロオロするばかりだ。まるで小説のような展開に呆然とした日々を過ごした。