巧い絵なんて、幾らでもある。しかしよい絵はほとんどない。まして凄い絵は〜。
それが惟朔の結論だった。惟朔の描く絵は巧い絵であり、しかもその年齢にしてはという注釈がつく。そこそこに巧い絵にすぎないのだった。
なぜ芸術家と呼ばれる存在があらわれるかといえば、才能が努力やそれで得られる技術を超越するからだ。
花村萬月 「百万遍 青の時代」
これほどまでに・・・
僕と類似した体験記(小説)はない。
まさに青の時代、15、16才〜22、23才のころ
主人公ほどのワルではないにしろ
対女性や取り巻きに関する部分は酷似している。
尚且つ、作中の登場人物に
僕はかかわりを持っていたのだから・・・。
そして・・・
対異性の接し方が、ひとつのテクニックと化したとき
強烈な自己嫌悪に陥り
シャットダウンしか方法を見出せなかったのは
僕の未熟な幼児性?
あるいは強烈なコンプレックス?
作中の「老人性」は僕の言葉で言えば「世捨て人」か?