背景の記憶(192)

巧い絵なんて、幾らでもある。しかしよい絵はほとんどない。まして凄い絵は〜。
それが惟朔の結論だった。惟朔の描く絵は巧い絵であり、しかもその年齢にしてはという注釈がつく。そこそこに巧い絵にすぎないのだった。

なぜ芸術家と呼ばれる存在があらわれるかといえば、才能が努力やそれで得られる技術を超越するからだ。


            花村萬月 「百万遍 青の時代」
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これほどまでに・・・

僕と類似した体験記(小説)はない。

まさに青の時代、15、16才〜22、23才のころ

主人公ほどのワルではないにしろ

対女性や取り巻きに関する部分は酷似している。

尚且つ、作中の登場人物に

僕はかかわりを持っていたのだから・・・。

そして・・・

対異性の接し方が、ひとつのテクニックと化したとき

強烈な自己嫌悪に陥り

シャットダウンしか方法を見出せなかったのは

僕の未熟な幼児性?

あるいは強烈なコンプレックス?

作中の「老人性」は僕の言葉で言えば「世捨て人」か?

posted by わたなべあきお | - | -

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