背景の記憶(182)

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幸子よ
寝覚めの寝台車の床に
期待もしないのに
あらわれたのはどういうわけなのか
わたしの純情な呼び掛けは影うすれた
しかし私の心性は
時をまって情緒にかえろうと志すのか
早く母を失った子であれば
それ故のみじめさは感じさせまいと
手許くるしくても
友人先輩の支えだけで
反抗に燃えて挙式するのもよいかもしれぬ
趣味としてそうおもったりする
秋夫が現在の境遇であればあるほど
(現世的な非難はいくらでもできる)
お前の末っ子が成人しかかって
いまだにおのれの道にためらっているままに
お前のいまわの際に
こども こども (たのむ)
と声なき口もとを動かした
十六年の坂を越えて
責をはたそうとしたというのか
わたしの愚痴っぽさは
人は聞き飽きる
秋夫は私に注意する
お前さんのは式にいうようなことばじゃないと
かまわないさ

魂はもはや歔欷でもなく叫喚でもないわたしはただ(おそらく)
見守りたいだけ
生あるかぎろ
そうしたいだけ
いまわの床で
台所にいた三歳の秋夫が大きな声で
  「まんまごせ」
とどなっているのを
「アレまんまごせとや」
と病にさいなまれているおのれのくるしみを瞬時忘れて口ばしった
その前後の呼吸まひで苦しく
生きたく苦しく
しかしわが子の無心の叫びは
母の耳をとらえて
瞬時業病との戦いを忘れたかにみえた

ああその秋夫と
東京に
素子の嫁入りにいってきたよ

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posted by わたなべあきお | - | -

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