背景の記憶(137)

 あれは小学校の低学年のころだったろうか。僕は父が勤務していた田舎の小学校の宿直の時、一緒について行って宿直室で泊まったことが何度かある。教室棟からちょっと離れた場所に用務員室があり、そこが宿泊場所となっていた。当時は用務員のひとを「小遣いさん」と呼んでいたような記憶がある。曖昧だが・・・。あるいは夫婦だったのかもしれない。晩御飯をごちそうになった記憶もうっすらとある。

 夜の何時ごろだっただろうか、決まった時間に校舎の見回りが義務付けられていた。父は懐中電灯ひとつを持って部屋を出た。僕は一人で部屋に残される方が怖くて父の後をついて行った。たぶん夏のことだったんだろう、まわりの田んぼからはカエルの鳴き声が喧しかった。

 父は不意に電燈を消して僕を驚かせたり、わざと怖い話をして僕の反応をおもしろがったりした。かと思うと、急に大声で歌を歌いだしたり奇声をあげたりした。(後々僕はそれらの行為を宮沢賢治的と捉えてよく思い出した)

 見回りのあるとき、僕はお腹の調子が悪くなり、父に訴えた。その時の父は一緒に便所までついて来てくれて、「腹を時計回りにグルグルグルグルとゆっくり回すんだ」と言った。「もっと姿勢をちゃんとして!」言われた通りにすると、やがてお腹の中でゴロゴロしていたものが、一気に下降してスッキリとした。

 似たようなことが生まれ故郷の隠岐の島へ帰る船の中でもあった。いわゆる船酔いなのだが、父は僕をトイレに連れて行き、「人差し指を喉の奥に突っ込んで下へ押してみろ!」と言った。半信半疑ながら言われた通りにすると、「オエッ!」という声とともに腹の中のものが口から飛び出してきた。「もう一度!」何回か繰り返しているうちに、もう吐き出すものはなくなってしまった。その時はどうなることやらと思えるような苦しさだったが、あとは爽快そのものだった。
 僕は甲板に上がって日本海の荒波を前に、大きく深呼吸をした。
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posted by わたなべあきお | - | -

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