自裁

西部邁氏が死んだ。

右とか左とか、やれ転向者だとか・・・

そんな次元での話とは関係なく

僕は人間「西部邁」が好きだった。

あの語り口、すばらしい語彙力、そして一貫性

氏の口癖を真似して言ってみよう

「小さな声で言いますが、僕はあなたが好きでした」

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富岡幸一郎氏の追悼文(読売新聞)

西部氏の生涯を貫く言論活動は、自身が好んで用いた言葉でいえば、「人格上のインテグリティ(総合性・一貫性・誠実性)」を身上とし、それを実践することで、専門知を越えて物事を総合的に解釈する一個の思想家としてのそれであった。昨年、すでに自らの死を覚悟して著した自伝的思想論『ファシスタたらんとしたもの』や、近代文明の危機を剔抉(てっけつ)した最期の書下ろしの『保守の真髄』などを読めば、この稀有な思想家が対峙せんとしたものが何であったのかは明らかである。
 それは敗戦・占領以後、七十有余年にもわたって、自分の国を自分で守ることすらせず、生命と価値を他国にあずけ、経済的繁栄に現を抜かしてきた戦後という時代であり、「自由」や「民主主義」という言葉の定義もなく、「平和国家」なる虚妄を信じようとしてきた欺瞞的な日本人に対する、根本的な批判である。さらにいえば明治近代化以降の、近代主義に骨がらみとなった日本と日本人、そして普く広がった近代文明の病理と危機に対して、歴史と文化の中で持続してきた価値(氏はそれを習慣と区別し「伝統」と呼ぶ)を明晰な論理によって語ることである。『昔、言葉は思想であった』という氏の著作のタイトル通りに、西部邁は言葉と思想を、この文明の紊乱のじだいに一致させようとした。此度の自裁死もまた、長年親しくさせていただいた筆者には、西部流の知行合一、インテグリティの結実であると了解したいのである。(一部抜粋)

posted by わたなべあきお | - | -

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