わたなべあきおWeb

Ne・o-activity VOL. 1  2002年8月

 今日がこの夏最高と、毎日言っているような気がします。
本当に暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?はるか遠い二十歳のころ、「ひとりごと」というミニ通信を発行した事を思い出しています。現実の身体もあちこち流浪の旅の中にありましたが、やはりそういう行動に至らしめる「こころのさすらい」があったのだと思います。拙い表現ではありましたが、苦悩の中の純粋さ、一途さがあって、そのころの自分が愛おしく、懐かしい思いで一杯です。
 今、混沌とした世の中にあって、ともすれば得体の知れない何かに押し流されそうな、もう一人の自分を見つめたとき、このままではいけない、もっと強く生きなければいけない、思いを行動に表さなければいけない、と言うもう一人の自分がいます。それがまさにNe・o(新しい)activity(活動)であるわけです。このごろやっと、昔から言われ続けてきた「gently and activity」のニュアンスが解りかけてきたような気がします 。
 「ひとりごと」は何号まで出したのだろうか?あの頃は前しか見ていなかった。今回は後ろも、今も、前も、もっと言えば時空を超えた後ろや前も見ることになるでしょう。人様に発信すると言うことは、実は自分を見つめ、自分を確かめ、自分を変えようとしているのでしょう。

少年時代(1)
 私は島根県隠岐島で6番目の子として生まれた。父は教師だった。母胎内にひと月も余分にいたため、頭が大きく、相当な難産であったらしい。時代的な背景や離島という悪条件も重なって、3人の兄姉が幼くして死亡。父母の落胆は想像に余りある。しかし我が家の人生模様の捻れはこれだけでは済まなかった。私の満3歳誕生日の翌日、母が亡くなったのである。死因は破傷風〜またもや離島による搬送遅延が原因で血清が間にあわなかったのである。ここに父の絶唱とも言える一文がある。

 なきますかよ・・・・どのほととぎす

幸子よ
もうすでにお前の命の火はあと数時間で消え失せると宣告されてからも、力ない眼球を動かしながら、お前はいたわる人々の最後の呼びかけに受け応えて、もうはや声は聞き取れないくちをもごもご何を言おうとしたのか。私達はお前の口許を見つめた、耳を近づけた。
 お前の不起の病が準備されていた数日間、むんむんする島根大学文理学部講堂で受講した「国語音声学」が、私のほんとうの身に付いていたなら、お前の無音のことばをも聞き取れた筈なのに・・・、
 お前の唇を焦がした四十何度の高熱の中から、
生活と闘い、生活に倒れたうわごとが遂にまるで演説口調になり
「世間を憾まず」「・・・・するのである」
それはお前をこよなく愛したお父さんの生前そっくりだった。
 OーjaーFuーKo
 Koーdoーmo
 OーtoーSaーN
ああ幸子よ、お前を可愛がって下さった多くの人々哀切の声に包まれて、
永く永く知夫里の土の中にねむれ。

 ・・・翌日、直ちに棺入れをしなければならぬ。大女の幸子を薄化粧して、縦棺に納め・・・・、私はせめて〜兄や姉は考えなかったが〜三歳の秋夫だけは、このままでは何も残らないだろうととっさに思い、抱き上げて、この子に魂あれば、母の最後の顔こころに焼き付けよと、抱き上げて見せたのだったが・・・。

・・・・幸子の命日は九月一日である。八月いっぱい病みつづけ、九月にはいるとぽっくりと逝った。まるで、学校関係の多い近親の関係を慮るかのように。その日は言うまでもなく関東大震災の防災記念日である。が、私にとっては亡妻記念日である。しかもそれは、命引き取る最期まで口にした、愛児・秋夫の誕生日八月末日を辛くも越えて、それだけが愛児への最後の心やりとしか思えない奇特な命日となった。

 私には母親の想い出は何もありません。
ただひとつ脳裏に焼き付いているのは、納棺時の白装束の母の姿だけです。
 この心の中の母は、生きて傍にいる母(比較できるわけないですが)よりもはるかに強烈に私を制御する力を持っています。死んでしまったからこそ、普通では味わえない大きな母の愛情を受けて、私は生きているのかも知れません。
 今三十半ばにありながら、未だ人生の何たるかをコトバとしては分かったようなフリをしていても、真に掴みきれない自分がもどかしく、金、金、金の世に中で、正に利益追求の職場に身を置きながら、父の仕事であった「教師」という職業が、とても気高く、羨ましく思えます。今更なれっこないのに、憧れを抱く自分が、悔いる思いを通り越して、不思議に思えてなりません。

        (35歳・「契縁録」 投稿文書の一文)

 永訣の時、父のとった行動・・・・それがその意の通り(三つ子の魂・・・)私の人格の中枢を成している。母はここにいる。私は母の懐の温もりの中にいる。誰も切り離すことは出来ない。しかし、その時の本人は何も分からない、ただ泣き叫ぶ幼子であったにすぎない。目眩く少年時代の原点はこの一瞬にあったのだ。

    窓

 人待ちて

  窓べに立てど

   海ばかり

    青き一線の

     海ばかり



  妻

 住居におれば女になる

 家に帰れば嫁になる

 里に還れば娘になる

 そうして

 人気のない夜道の樹の下では

 胸にすがってくる恋人になる


 素顔で生きる

素顔で生きる
わかる?この感じ
自分に自信ができたのさ 自分の顔にさ
生きる自信がさ
この自信は今までのそれとは ずいぶんけた外れのものなんだ
たしかに美男子とはお世辞にも言えないけど
人前で繕うことがなくなったのさ
自分そのまま つまり素顔でさ
何か自分がひとまわり大きくなったようなんだ
これは決して世間慣れとか 社会に染まったとか・・・
そういう平たい言葉で片づけてほしくない
貴重な変化なんだ
大人? かもしれない
でも そんなことはどうでもいいんだ
俺は現に俺として存在しているんだ ここに
今 ペンをとっているのが 俺なんだ

        (23歳・朝日新聞掲載作品)
  

(Update : 2003/12/02)