背景の記憶(76)
今日は母方の祖母の命日である。僕が故郷を脱出するきっかけとなった祖母の死であった。
二十歳の夏、僕は日赤病院で祖母に付き添っていた。付き添いと言っても、祖母はもはや意識は無く、心臓だけを動かすという延命処置的な状態だった。スイッチをオフにすれば、その何時間か後が臨終というわけだ。
同じ状況に置かれたほとんどの家族がそうであるように、出来る限りの医療を尽くしたというのが、本人への想いだったのだろう。たとえそれが自己満足に過ぎなくても・・・。一方病院側も事務的に「はい、終わり」とはできない事情があったわけで・・・。
ただ眠っているだけの祖母の横顔を見ながら、僕は様々なことに想いを巡らせた。不登校状態のころ、学校近くの祖母の家で花札をして遊んだこと。イカサマを指摘すると、大柄な体を揺すって笑っていた祖母・・・。勉強のことは何も言わなかったなぁ。何をどこまで分っていたのだろうか?戦争や病気で夫や息子や娘を次々に若死にさせ、辛く悲しい日々を暮らしていたであろうに・・・。僕にとっては唯一の駆け込み寺的存在だったんだな。
約一カ月間、いとこと交代で続けた付き添いも、病院と患者側両者のあうんの呼吸で、祖母は臨終を迎えて終わった。廻りの誰も泣きわめくこともない、淡々とした最期だった。
葬式当日、京都から来ていた叔母が、僕に囁いた。「京都へ来なさい・・・」
脱出に向けて心が動いた一瞬だった。
|