背景の記憶(71)
隠岐丸が知夫里島の入江に入ると、それまで外海のうねりに弄ばれた揺れが急になくなり、なだらかな水平進捗となった。甲板に出てみると、懐かしい野山や集落が目に入り、出迎えに向かい歩く人々さえまじかに見る事ができた。
船は直接岸壁に接岸することはできず、入江の真ん中で停まった。タラップが降ろされ、やがて迎えの櫓漕き船が近づいてきた。櫓を操っているのは、回漕店をやっている叔父だった。無口で温厚な人柄だったが、櫓を握る腕は日焼けして逞しく頼もしかった。
鏡のように見えた水面も、いざ降りるとなると微妙に揺れ動いて、女性やこどもたちには危険だった。過去に転落して死亡者も出たと聞いたことがある。両足が小舟に着くと、皆はすぐに腰をおろし安全な姿勢をとった。
やがて本船を離れ、小舟は迎えの人たちの待つ岸へと向かった。それぞれの顔の表情がわかるくらいに近づくと、乗客と彼らとのお互いを呼び合う声が交叉した。乗客も知人を見つけると立ち上がって手を振った。
ロープが投げられ接岸すると、人々はわれ先にと下船して、それぞれの迎えの人たちの中へと飲み込まれて行った。懐かしくもあり、半分意味不明の方言が飛び交った。「やれ帰ったかい、のしゃどげしちょったかい?荷〜持つけんのぉ・・・」
僕の帰島は、ここからがある意味大変だった。目指す実家は集落の一番奥の山の上だったし、その道中には親戚の家が連なっていたからだ。ときわ屋、島崎、沖見屋・・・それぞれに声をかけ「後でまたゆっくり来ますから・・・」と言う前に、「よう帰ったのぉ〜早よあがれあがれ!」と手を引かれた。
歩く道では、人々が気安く声をかけてきた。「新宅の喜ちゃんかい?」「いえ、あきおです」「ぺぇ〜あきちゃん?大きゅうなってのぉ〜」中学校に上がるまで島にいた兄のイメージが大きく残っている結果のようだった。年齢は十も違うのだが・・・。
坂道に入ると急に人影もまばらとなり、一段と懐かしい石垣や家並みが続いた。生い茂った木々が優しい木陰をつくり、小溝をせわしげに渡り歩く蟹たちが、幼いころの遊びを思い出させた。何度となく行き来した湧水の処へ着くと、実家はもうすぐで二つ曲がると屋根の一部が見え隠れしてきた。
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