わたなべあきおWeb

NO WAR

 『戦線に出て学鷲として堂々と散華した先輩の有様を映画とは言え非常に感激を覚えた。頑張るぞ。一日も早く艦爆乗りになって天皇陛下の御為に悦んで死ぬ。サイパンの危機を新聞は伝え、敵機、本土の空襲を開始す。我等はただ米英撃滅の一念、益々赤々と燃え上がるのみだ。我々多数の学鷲の進軍する時こそ、この時こそ、感謝の涙にぬれた、あの昭和十六年を再現するのだ。必ず再現して見せる。我々は昭和二十年以後は後輩に頼む。昭和二十年…』

 『サイパン玉砕を大本営は、発表した。何たることか。我々は何時でも死ねる準備は出来ている。未熟なこの技量を何とかして一日も早く向上せしめ、一日も早く前線に出たい。』

 『日本に今一歩進んだ生産力があったなら、かかる事態は出現しなかっただろうに、実に残念だ。我々は飛行機に乗ることさえ制限されて居る。飛行機乗りが飛行機に乗るのを制限される、これ程の苦痛があろうか。』

   (大十三期海軍飛行予備学生 海軍大尉 谷川隆夫)

昭和二十年四月七日 攻撃隊として彗星爆撃機十一機午前十一時二十分国分基地を発進し、午後一時三十分乃至午後二時二十分の間に攻撃に成功した。

操縦者 @少尉 谷川隆夫 A少尉 ・・・・
偵察者  少尉 ・・・・

1410 攻撃目標見ゆ
1412 航空母艦見ゆ
1416 我敵艦に突入中 を発信後未帰還(戦死)

母の弟〜隆夫叔父〜享年二十五歳          

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(Update : 2010/08/15)