常
善いことであれ悪いことであれ
これまで習慣化していたことを止めるとなれば
当然、ぎこちなさや違和感が伴うというものだ。
たとえば・・・日記、電話、メール etc。
そしてまた、新たな慣れが生まれ、それが日常となる。
常に緊張感を持って生きることが、非日常かどうかは別にして
ただ慢性的な生き方が健全とは言えないことは確かだ。
これが当たり前、これが普通・・・と言い聞かせ
極力日常的に暮らそうと努力しても、消せないものがある時、
それこそが自らが内的に欲する願望と言えるのではなかろうか。
離れて知る親の有り難さとか・・・
別れて思い知らされる恋人の温もりとか・・・
コンビ解消で突き付けられる相棒の偉大さとか・・・
致命的になる一歩手前くらいまでは、体験しておいた方が
将来のためだと僕は思っている。
きっと・・・そうさ!
鏡に映る自分の顔が
ちょっとだけ穏やかになったような気がする。
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