背景の記憶(59)
チャンスには、前髪しかないという。通り過ぎてしまえば、もう二度とは掴めない。
思い返せば、あの頃、君は僕に何度かチャンスを与えてくれたように思う。それに気付かなかった僕が幼かったとはいえ、モノにしなかった僕を、君は淋しく悲しく想ったことだろう。
無知は経験の薄さから生まれるのか?そもそも具わり得なかった感性の問題なのか?僕は君の奥深い心の襞が見えなかった。順序立てた愛の説明など、愛とは言えないだろう。絶望と愛惜の入り混じった感情を、今の僕なら察知できる。あまりにも遅すぎることだけど・・・。
君はその後、どうしているのだろうか?あまりにも時の流れがあり過ぎて、想像もつかない。噂も耳に入ってはこない。当然と言えば当然・・・あの時代の仲間や知人とは、一切縁切り状態なのだから・・・。
人は様々な小世界に暮らしている。あたかもその場所が一般的社会であるかのように錯覚して・・・。過去は想い出のアルバムか?関わり合ったその先は、独り善がりの夢精にすぎない。
いつも言うように、人間の本質は、幾つになっても簡単には変わるものではない。僕の幼児性も母性欠乏症(?)も、一生付いてまわる・・・どうしようもない性なのだ。
人眼をはぐらかすことはできても、鋭い感性と心眼の持主から見れば、何を纏ったって、透けて見える。
人は反対の極に憧れる。弱は強を。優柔不断は即断実行を。八方美人は頑固一徹を。すべての前者は僕の象徴だ。失敗と屈辱を繰り返し、それぞれに半歩だけ移行する。
理想は、両極の融合か?それこそが結婚の形態かも知れない。それぞれの凹にそれぞれの凸が絡まって四角になる。そして転がり転がり丸くなる。
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