背景の記憶(49)
「電話には、一切出なくていいから・・・」これが辞表を提出した明くる日の社長の言葉だった。さらに「得意先にも行かなくていいから・・・」と続いた。はぁ〜?
何のための三ヶ月?業務の引き継ぎのためじゃないの?
考えてみれば、会社を辞める決意に至る伏線的な出来事があった。第三子の長女が生まれて間もなく、原因不明の難病に罹り即入院。妻は看護のため病院に付きっきりとなり、、上の子二人もまだ入学前で、我が家はパニック状態となってしまった。
それでも何とか役所に頼み込んで、弟も兄と同じ保育園に入れてもらえることとなり(二男はいきなり兄と同じ年長組に入れられたものだから、相当精神的ショックを与えてしまったようだ・・・後々に気付いたこと)、二週間近く会社を休んで出社したときのことだ。
「あの現場どうなってるんだ!それから・・・これもあれも・・・」机の上には伝言のメモが数えきれないくらい貼られていた。
「子供さんどうや?」の言葉もなく、「代わりに処理しといたから」の言葉もなく、僕は愕然とした。それからの数週間、僕は公私ともにてんてこ舞いで、保育園へ迎えに行くのはいつも閉門時間ぎりぎりだった。(もっとも、子供たちは職員室でお菓子をもらえるのが嬉しかったようだが)
娘の容態の心配、日に日に痩せてゆく妻の体の心配、そして男の子たちのこと・・・更に仕事、仕事、仕事。どちらかと言えば我慢強い方の僕ではあったが、さすがに限界を感じた数カ月だった。
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