喜ぶべきは どんな言い方であれ 言われる存在 諭してもらえる存在 己の受け止め方次第で 宝を得ることになるのだから 悲しむべきは 言うばかりで 言われることのない存在 諭してもらえない存在 何も言われないことが 慢心を生むことになるのだから ・・・となれば 真の智者は 己の中に もう一人の強く賢い自分を 持っているということなのだろう
(Update : 2009/04/14)