極まる
『極まりて 悲しい時にあらざれば
まことの信は 起こらざりけり』
随喜というのは、表面上それらしく見えたとしても、実質堅固な
ものとは言い難い。しかし、無理やりに難儀に遭わせるわけにもいかず、結局は時期を待つしかないということになる。
皮肉なもので、辛酸を舐め尽した親は、「こんな辛い思いは子供にはさせたくない」とひたすら頑張る。逆に子の立場からすれば、親の心子知らず〜で、その境遇を当たり前と思い育つ。
可愛い子には旅をさせろ〜と言うが、ある程度決められた旅と、どっちへ行けばいいのだという旅とは、根本的に違う。
艱難辛苦は人を作る。
事の最後が愚痴になれば、せっかくの体験も身につかない。
「苦労を楽しむ」くらいの心の持ち主ならば、無意識の中に血肉となってその身を離れない。
時代は繰り返される。
しかし、心の質的に言えば・・・確実に下降線を描いている。
物質文明の発展に反比例して、心は荒び魂は彷徨う。
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