わたなべあきおWeb

背景の記憶(32)

僕は性格的に所謂トップ(ヘッド)は苦手だった。何でもサブ的ポジションが居心地良かった。ひとの下(影)でサポートする役目が好きだった。

当時の小学校の学級委員は、一学期が男女の優等生、二学期はその次という暗黙の了解事項があった。選挙は名ばかりで、ほとんど先生の意向で決まっていたように思う。

僕はずっと二学期だった。これは僕にとってまさにうってつけの世界で、けっこう自由に快活にこなしていた。その点、優等生クンたちはしんどかったと思う。プライドもあるし、下手なことはできないし・・・。

中学に入っても、僕は同じような感じで過ごした。ただ父が同じ学校に転任してきたことが唯一誤算?ではあったが・・・。実情が知れ渡るにつれ、生徒からも先生からも、実力以上のレッテルを貼られたようなプレッシャーを感じるようになっていった。

三年生の一学期、当初学級委員長だったK君が家庭の事情で転校することになった。そこで委員だった僕にその代役が回ってきてしまった。「最悪!」と思いながらも断る理由も勇気もなく、しぶしぶ受けてしまった。

全校集会、各行事、修学旅行、・・・あらゆる場面で責任が付いてまわった。どんどん本来の自分らしさが失われて行くような気がした。

さらに困ったことには、当時は各試験後に、トップ50の成績が貼り出されるということがあった。11クラスだから、クラスでは少なくとも3〜4番の位置にいなければならない。加えてW先生の息子という目がある。これほどキツイ仕打ちはなかった。

なんとか恥をかかない程度の順位を確保していたが、この三年間の精神的圧迫が、高校生活で爆発したのかもしれない。

(Update : 2008/08/26)