背景の記憶(31)
僕の記憶では、父は6〜7回引っ越し(転宅)をした。一番長く居たのは継母の実家で、母屋の裏にある納屋のような建物だった。(書きながらいつも思うのだが・・・どうも素直に「母」と書けない自分がいる。なんとも説明のつかないわだかまりが、僕の心の奥底に蠢いているようだ。)
もちろん風呂はなく、いつも母屋で<もらい湯>をした。母屋の住人がすべて入浴後、声がかかった。時には深夜近くなることもあった。
部屋の奥に向かって「いただきます」と言ってから、なるべく音をたてないように・・・、お湯を使いすぎないように・・・、入った。自分が最後近くの時には、すばやく下着を洗った。子供心に義弟との被差別感からの行動だったのかもしれない。
日曜日など、僕が洗濯物を干していると、母屋のお婆さんや叔母が「あきちゃん、えらいね〜」と褒めた。僕は実情をしゃべるわけにもいかず、エヘヘといつも作り笑いをしていた。すると、「あきちゃんは、いつも笑顔よしだね〜いい子!いい子!」とくる。
僕のピエロ性は、この頃から始まったらしい。上(兄姉)を見ても、下(義弟)を見ても、自分を発散させたり爆発させたりできる場面は、皆無に等しかった。
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