わたなべあきおWeb

時代を読む

 図らずも今朝の新聞に、昨日書いた内容に関連したような記事が載っていた。

《日本人が「教養」と聞いて連想するのは、大正時代から昭和戦前期にかけて、旧制高校を中心に花開いた教養主義のことだろう。》

《教養は本来、知識の量やエリートの人生論に集約されるものではなく、社会に生きる市民の良識をはぐくむものだろう。》

《インターネットが発達した今日、実利に直結しない古典的な教養は膨大な情報に紛れ、その姿は見えにくくなっている。》


 大正生まれで師範学校出の父が、学生時代の僕にしきりに言ったことは、「本を読め!」だった。英語の勉強をしていた時代には、「解らなくてもいいから、原書を読め!」だった。

 僕らの中学高校時代の校長先生に、ある意味哲学的な風格を持った先生が多かったのは、こういう流れの結果なのだろうと、今更ながら思い至る。
 しかし、その清流とも言うべき流れも、極端な実利主義の風潮の中に埋没していったことは、身をもって感じるところだ。

・古典を読む
・コーヒを飲みながら哲学を論じ合う〜結論を出す必要はない
・・・日常のあり方に疑問符を投げかける記事だ。

(Update : 2008/01/07)