大命題
究極の思い遣りは
愛の鞭を超えるのか
そんな私に
敵は鞭を振り
弓矢を射る
慈悲心とは、人間的な優しさ(思い遣り)を内包したものではないのでしょうか?牛馬に対するが如くに鞭を当て、罵詈雑言を浴びせるのことが、果たして愛の鞭と言えるのでしょうか?僕には単なる人身攻撃としか映りませんが・・・。人間は、己を正当化しだしたら限りがありません。経典も憲法も都合良く解釈し、押し通してしまいます。
僕が他意に随する心の持ち主と言うならば、その真偽の程を争うしかありません。ですが、軍配を上げるのは同格の人間では出来ないところが、また事を複雑にするのです。
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