わたなべあきおWeb

背景の記憶(15)

僕が十歳の時、義弟が生まれた。
今更言うまでもなく、お腹を痛めて産んだ実の子こそ、母親にとって最も可愛い存在であるに違いない。

本人(継母)に明白な意志があったとは思わないが、当時の僕には、蔑ろにされだした悲しさしかなかった。初めての我が子の育児に一生懸命になる結果、僕への心遣いなど起ころうはずもなかった。

その悲しみを表には出さず、あきお少年は笑顔良しのピエロを演じ続けた。本質的に僕は母親譲りの明るい性格の持ち主だったのかも知れない。でも何故か、その明るさも作られた偽物の笑顔と変質していった。辛く悲しい時ほど笑っている〜まさにピエロ。

兄姉があからさまな拒絶反応で、居を別にしたことは、ある意味自由な選択だったのかも知れない。現実の厳しさはあったにしても、心の束縛はなかったはずだ。

被害妄想ではないが、僕にはそんな選択肢は与えられなかった。と言うより、現実問題として、小学生の僕にできるはずもなかった。

チャンスは中学生の時に訪れた。それほどのハッキリした意識もなかったが、渡りに舟〜というやつで、僕は家を出ることにした。逃げ出すというわけでもなく、啖呵を切るというわけでもなく、とにかく僕は巣立ちをした。

飛べない鳥の巣立ち・・・何が待ち受けているのやら?ただただ澄んだ青空を信じて・・・練習もしてない羽をばたつかせた。

(Update : 2007/08/08)