信仰者の端くれとして想うことは・・・ 教義を此見よがしに振りかざすのではなく 自分の存在そのもので 拙い言の葉〜そのなかに 何かを感じ取ってもらえたなら・・・と想うのです 大宇宙のなかのちっぽけな自分 そんな宇宙が自分の心と感応同交する 毒の草花は、祓えども祓えども生えてくる ・・・ならば、 何度生まれ変わっても、同じ鍬を持つか? 憩える時を求めるのは、悪魔の囁きかも知れぬ
(Update : 2007/05/18)