初夏の暮色 永田英彦
からいも植えがピークを過ぎ、らっきょう獲りが始まる頃になると、農家もややのんびりした季節を迎えた気分になる。 忙しかった田植え作業の疲れを癒すように、時には町外の温泉地に家族で出掛けられる風景は、世はまさに平和と云っていいだろう。 シャワーで一日の汗を流し、先ずはビールと冷蔵庫の缶ビールを手にしてグイグイ。至福のひと時だと一人で悦に入る。 改めて焼酎のダイヤメで夕食を終え、ほろ酔い気分で肌着一枚で外へ出る。 まだ星は三つか四つだが昼間の三十度の気温は薄らいでいる。そろそろ蛍も出るだろうと期待して道路の土手に腰を落とす。 濃い緑に成長した水田の上を吹いてくる涼風が何とも気持ちよく頬を撫でてくれる。 磯間山から向江山、城木場(づくば)とうすいミルクを溶かしたような靄(もや)が一筋、まるで山水の画だ。ただひたすらその夕景色に見とれていると啄木の歌が口をついて出た。
故郷の山に向いて云うことなし 故郷の山はありがたきかな
この土地に生まれ育って七十有余年、こんなしみじみした郷土愛の心境に浸った事はなかったのに今宵はどうしたことか。老化の兆しかな、単なるセンチメンタリズムかな。 ここ五、六年の間に同年代の友人が櫛の歯が欠けるように亡くなったのに対する無常感・・・,確かにそれもある。 農村の様変わり、例えば山太郎ガニを捕まえ、うなぎ釣り、ダンマえびを追い回した幼き日の川遊びの楽しみは、今は遠い想い出の中にぼんやりとしか残らない。そんな不満もある。 三面コンクリート張りの川には、もうメダカさえ見当たらない。今の子どもたちは昔のあんな川の面白さを体験できないんだから可哀想とと云えば、テレビゲームで家から出ない方がずっと楽しいと云っている。「これでこれから先の子どもたちが親になった時、自分の幼年時代の故郷の想い出が語られるだろうか・・・」等と不安気に襲われるのは馬鹿げているであろうか。 「旧き佳き時代」と云う言葉があるが、私は貧しかったが故に盆、正月に頂いた僅かなお小遣いの嬉しさや、年に一回か二回の白米食のえも云えぬ美味しさを知っているし生涯忘れない。飽食時代は価値観の喪失という不幸も背負っていると思える。
近くの家からテレビニュースの声が聞こえてきた。一つ一つ挙げる迄もなく暗いニュースばかりだ。その声を避けるように歩き出した。 二、三町も歩いたろうか、気がついたら蛍が二つ三つスイースイーと飛んでいた。 「自然はいいな、嘘がなくて。人間社会はどうだろう。知能が発達すればする程不安を連れてくる。核、宗教戦争、。人間は〃万物の霊長だ〃と云っていいのだろうか・・・」
ふとここ迄考えたら出稼ぎ先の隠岐島での一句を想い出した。
異境(よそ)の地の 何故物憂げに曼珠沙華
故郷と同じ彼岸花がこの絶海の孤島にも真っ赤に咲き誇っているが、この花を眺める私。瞳は憂いに曇っている、それは同俺たちの確執の日々に苦しんでいる時だった。〃ジャガタラお春〃の悲話が頭をよぎって、反射的に出来た句だ。でもその時に敵に思った人達も三十年後の今、殆ど鬼籍になった。もう暗い過ぎし日の事は忘れよう。 孫たちが大学を出て社会人となり次々と成長して行くのを目を細めて喜ぶ好々爺になろう。 そう自分に云い聞かせて辺りを見たら、いつの間にか蛍の影は数え切れなくなっていた。 2004年5月28日夜
長崎物語
赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてる じゃがたらお春 未練な出船のああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る
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