葛藤
みんなが幸せであればいいのに・・・
雨で50キロ規制の中国道、米子道を、轍(わだち)にハンドルをとられそうになりながら、故郷・松江へと車を走らせた。いつもなら勇姿を見せてくれる大山も、雨雲のなかに隠れてしまっていた。晴れていても思うのだが、山陰地方独特のもの悲しい風景が、雨で余計に寂しそうに見えた。
半年ぶりであったが、今年90才の父は想像以上に元気そうで安心した。読書家、筆まめ(ワープロ)、歩く、静座、体操・・・健康、長寿の秘訣をすべて自分の生活のなかに生かし切っているたまものだろうか。長年の毎日の積み重ね・・・見習うべし。
近所に住む従兄弟〜急性腎不全・・・意識不明、植物状態。
どこの家でも一歩入れば、問題のない家はない。またあって当たり前である。しかし対症療法的な反応しか示せない家族が多く、根本治療に気が回らず、親でさえも「へえ〜そうなんや・・・仕方ないなあ・・・」とあきらめ顔。いくら医学万能の時代とはいえ、せめて心に必死に快復を願う・・・祈り・・・が欲しいと思わずにはいられなかった。
他人事ではない、わが家も変わらない。離婚した義弟。荒れるその息子。はっきり切れない前妻・娘。いくつになってもつきまとう現実に翻弄される父。ここで自分までもが寄っかかってはいられない。しかし思うほど何も出来ていない自分。葛藤がまたつぎなる葛藤を呼ぶ。
別れ際の父
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