優しさの階段
「恋愛と結婚って違うと思いません?」突然の問いかけに戸惑う僕でした。「うちの人、とってもいい人なんですよ・・・」言葉にしない部分に彼女の心が読めてとれました。
結婚生活のエアーポケット・・・物でもお金でもない、結局心の問題なんだと思います。彼女のいわば物足りなさは、言葉にすれば簡単だけれど、実は奥深くもっとも大切な《優しさ》《思いやり》にあることは明白であると思うのです。
しかしそう言われて、「明日から優しくするよ」とすぐに出来てしまうような上っ面の問題ではありません。自分の辛い、悲しい、寂しい実体験が繊細な心の襞を作り、人の苦しみや悩みを敏感に察知して、自然な形で言葉や態度に表すことが出来るようになるのではないでしょうか。
誰かの歌にありました。「♪涙の数だけ強くなれるよ♪」 僕は思います。「涙の数だけ優しくなれるよ」と。いわゆる苦労がマイナスに作用する人も中にはいますが、多くの人は流した涙の数だけ、人に優しく、本物の思いやりを持てる人になって行くと思うんです。
でも・・・何の支障もなく順調な人生を歩みきたひとにしてみれば、その心の表現は冷淡なのではなくて、それが普通だと思うのです。だからその違いが如実に表われるのは、具体的な何か家庭的問題(事件)が発生したときだと思います。片や・・・自分のとった言動が相手(連れ合い)を傷つけてるとは思いもしないのでしょう。片や・・・相手を思いやり、我が苦しみ、我が悲しみのごとくに振る舞えるのでしょう。
それは現実的という言葉ではかたづけられない、微妙な心の綾です。いわゆるいい人の知り得ない、わかり得ない心の世界が、実はすべてを解決に導く鍵だと思うのです。
「どうしようもない・・・」「それが結婚・・・」「それが夫婦・・・」スパッと区切りをつけて別れたひとも多くいます。この場合圧倒的に女性主導ですね。そして心的別居も、仮面夫婦もたくさんいます。男はもう鍵なんかいらないと思っている人がほとんどなのかも知れませんね。
偉そうに論じている僕ですが、同じ問いかけを自分自身にしてみて、僕も胸を張れる存在でないことに気づきます。
優しさや思いやりは、自分が語ることではないと思います。きっと受けた相手が感じる事なのでしょう。僕はいろんな相手の人達に、優しく思いやりのある存在なのでしょうか?・・・。
|