聞きましょう
一升瓶には一升分しか入りません。
二升、三升と入れても、溢れ出るばかりです。
人の心も同じです。
いくら自分の考えが正しいと思っても、相手の容量以上は押しつけになり、かえって負担になってしまいます。
でも、その容量の見極めは、非常に難しいものがあります。
最近僕は図らずも複数の人から相談を受ける立場になりました。
今日は当人の娘さんからの電話でした。「話を聞いてやって欲しい・・・」とのことでした。「肉体的暴力も暴力なら、言葉の暴力、精神的暴力もある」と言われました。
僕は話の対象者も知っています。そして話の内容に非がないことも解っています。
結局は言い方、表現方法の問題なのです。
ただ指摘する、非難するだけなら誰でも出来ます。
要は、間違いなら間違いをその人に解るように言ってあげる、諭してあげる思いやりの問題だと思うのです。
僕は聞くこと大事と言い続けています。
息も吐けば必ず吸う時が来ます。
苦しい心情を吐露しつくせば、必ず受け入れるスペースが生まれます。そこがタイミングです。
僕は今、正直責任を感じています。いい加減には出来ない内容です。あの人も、この人も。でもやはり、僕が解決するのではなくて、まず聞いてあげることだと思っています。答えはその先に自然と附いてくるものだと、僕は信じているのです。
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