生きること
僕はかなりの時期まで、夢を追い求めていたと言うか、いつか・・・いつか・・・という生き方をしていたように思う。ところがある日、森鴎外の「青年」を読んでいて、いわゆる頭にガーンと来たものがあった。
「一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業に有り附くと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。 現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。 そこで己は何をしている。」
たしかに、先きを、先きばかりを見ていた僕だった。
そして更に出会った森先生のお言葉。 「真理は現実のただ中にある」 「一眼は遠く歴史の彼方を 一眼は脚下の実践へ」
世捨て人、夢追い人となかば笑いもののような存在だった僕は、次第に遅まきながらメラメラと反骨の精神を漲らせ、エネルギーの蓄積を秘かに決意したのだった。アイデンティティーの確立とまではいかなくても、何かしら、自信めいたものが湧き上がってくるのを覚えた時期であった。
廻りの同世代に比べれば、はるかに遅れをとっていたと思う。しかし、僕はその遅れが、回り道が、彷徨の旅が、ちっとも惜しくはなかった。むしろ宝物に思っていた。誰にも体験できない、僕だけの貴重な世界があったからだ。
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