わたなべあきおWeb

春季彼岸会

誰もいない早朝に墓参りに出かけた。京都西山の高台にある墓地に母は眠っている。思えば何の縁でこうなったのだろうか?もちろん現実的な理由があるにはしても、京都と隠岐は歴史的にもつながりは深い。遠い昔の我が祖先は、天皇のお供の末裔なのか、はたまた流罪人なのか・・・、いずれにしても霊的には京都と縁がある人達と思えて仕方がない。

母方の祖父も京都の病院で亡くなった。祖父も母も兄姉もはるか時空を超えて、京都に里帰りしているのかもしれない。そんな妄想に取り憑かれることがある。

振り返れば、土葬の母を迎えに、隠岐島に渡ったのはもう25年も前のことだ。没して30年弱、母は白い一筋の骨とも土とも見分けられないくらいの存在となっていた。それらしき部分を箱に入れ、夏にしては珍しい大荒れの海を渡り帰った。父は後に、ぞんざいな扱いが海神の怒りに触れたか・・と述懐したが・・・。しばらくの間納めどころの定まらぬまま、父の家に置かれたままの遺骨を、結局は末っ子の僕が預かることとなり、ここ京都に墓碑を建立したのだった。

僕にしてみれば、何の直の想い出もない母ではあるが、それだけに母への熱い慕情は募るばかりで、独り善がりに解釈すれば、母はそんな僕を不憫に思って、京都へ帰ってきてくれたのではなかろうか・・・。

「おかあさん・・・・」言葉にならないつぶやきであった。出来ることならば、その場に現われ出でて、抱きしめて欲しい・・・そんな衝動に駆られる、いくつになってもこどもこどもの僕なのでした。

(Update : 2004/03/20)