鶯(うぐいす)の声
家の裏庭で鶯の声がした。「ホ〜〜ケキョケキョ・・・」まだ下手くそである。ここへ引っ越してきた頃は、坂道は地道で、廻りは竹林や雑木林で、子供たちはほんとに自然の中で育った。様々な鳥たちや昆虫、時には蛇も。鹿や猿が出たこともあった。そして筍や野いちご、グミ、あけび等々・・・今想い出しても、良いところだったなあと思う。
しかし、この山(丘)も造成が急ピッチで進み、昔の面影はほとんど無くなりつつある。唯一二階の部屋からの、遠く比叡山を望む眺望(借景)が僕たち家族を和ませてくれる。
さて、鶯と言えば、僕は祖父を想い出す。28日の日曜日には、相生の叔父宅で法要があるのだが、もう30年経ったかという感慨がある。結婚前、僕は家内と家内の弟と3人で隠岐島へ旅行をした。その時祖父が三味線を弾き、ちっちゃな祖母が透き通るような可愛い声で、民謡を唄ってくれた。あれはしげさ節だったのかどっさり節だったのか?素朴なシンミリとした、せわしい世の中をしばし忘れさせてくれる、とても温かいプレゼントだった。
その祖父の葬式の時、僕は涙が止まらなかった。自分でちゃんと用意したという、笑顔いっぱいの遺影が、また次の涙を誘った。このとき父はこんな句を詠んでいる。
「父逝けり 鶯啼けり また啼けり」
俳句そのものとしては、いただけないものらしいのだが、何となく奥深い慟哭みたいなものが伝わってくる。その場で読んだのか、墓場への道中に浮かんだのか、葬儀の後、裏山にでも登って、一人で鶯の声を聞きながら感涙にむせんだのか・・・。
人間はいつか必ず死を迎える。はたして僕はみんなから、いついつまでも偲んでもらえるような、ひとに優しい、ひとを慈しむ、そんな人生を歩み来ているのだろうか?名もなく貧しく美しく・・・と言うけれど、ほんとにそんな人生でありたいとこころからそう思う。
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