わたなべあきおWeb

ナメちゃん

僕はボーイスカウトの後頭部強打の昏睡から醒めて、二週間ぐらいで起きあがれるまで快復していた。少しずつ運動もしなければいけないということで、僕は会長先生の娘さんの子守がてら、近所にある神社の境内へよく出かけるようになった。娘さんはまだよちよち歩きで可愛い盛りだった。

僕の頭は左後ろに大きな石でも入っているような、重い痛みが常にあった。これは十年以上も過度の運動の後などには症状が表われた。しかし童心に返って遊んでいるときには、不思議と忘れていた。

実祈子チャンは、みんなが僕のことを「ナベちゃん」というのを覚えて、僕に向かって「ねえナメちゃん、ナメちゃん」と可愛く呼んでくれた。僕はまさに童心そのもので、いっしょに走り回り三輪車を押し、かくれんぼをして遊んだ。

会議の後の食事会の時、彼女も奥さんと宴席に入ってきて、僕に歌をせがんだ。そのころは「おもちゃのチャチャチャ」が流行で、よく歌わされた。民謡や歌謡曲の手拍子の中で、チョット異様なしかし心和む瞬間だった。

今思えば、そうした子供たちに囲まれた空間が、僕には一番適した世界だったのかも知れない。職業的にも、生活的にも・・・。
しかし運命とはそういうもの。ままならぬもの。遠回りやフィードバックを繰り返す。

彼女もいまや三十代半ばか。どんな人生を歩み来たことやら。「三つ子の魂・・・」でナメちゃんは彼女の心に生き続けているだろうか?

(Update : 2004/03/01)