わたなべあきおWeb

転機(決断)

「お前の担当している得意先の内容を報告しろ!何がどうなってるのかサッパリわからん!」社長からの電話だった。僕はその語調に唖然として返す言葉が見つからなかった。

生後半年の娘が原因不明の発作を起し、緊急入院して一週間後のことだった。妻は付きっきりの泊まり込み看病となり、家には5歳と3歳の息子二人がいた。親兄弟は遠く、妻のお母さんも働く身だった。上の子は保育園に入っていたが下の子はまだだった。当然家事は僕一人であり、ドタバタのまま一週間は過ぎてしまっていた。

仕事の引継や連絡を入れていない自分に非はあるにしても、「子供さん、どうや?」のひと言が先だろう!という怒りが胸の中でいっぱいになり、同時に情けなさがこみあげて、不覚にも子供の前で涙してしまった。弟は不思議そうにのぞき込んでいた。

当局にお願いして、無理矢理弟を兄の年長組に入れてもらうことが出来た。朝出勤途中で保育園に二人をおろし、夕方帰宅途中に迎えに行った。いつも最後で、二人は職員室で待っていた。本人たちはおやつがいただけたりで嬉しそうだったが、僕は迷惑をかけ通しなので恐縮した。先生は「とてもかしこくしておられますよ」と弟をほめてくださった。しかし実はこの体験(ショック)が彼の人生に大きく作用するとは、その時の僕には解ろう筈がなかった。

職場にもどった僕は二重の驚きだった。僕の仕事はそのまま誰にも助けられることなく残されたままだった。致命的な苦情もいくつか寄せられていた。ひたすら残務整理に追われ、神経はすり減っていった。営業トップのプライドも、社員統括の自信も、もうどうでも良いように思えてきた。心の中で「こんな会社、辞めよう!」先をどうとかではなくて、とにかく辞めようという気持ちで固まっていった。

(Update : 2004/02/28)