恥の本質
先日工事現場での出来事。トイレの中でウオシュレットの交換工事をしていた。息子は廊下で梱包のばらしや商品の取り出しをしていた。奥さんはとても気さくな人で、側にいていろいろと世間話をしてくれていた。
その内に、「何人兄弟なの?」という話になって、息子は「三人ですよ、弟と妹がいます」と答えていた。だんだん話の内容が具体的になり、「ほなら、妹さんもそろそろ結婚しなあかん年やね〜」と言われ、息子は「いや〜、あいつは無理やと思いますわ〜」と答えた。何も事情を知らない奥さんは「なんで〜?」と当然の反応が返ってきた。
瞬間、静寂の時があり、僕は(この場面は僕が話さないとマズイんじゃないかな)と思ったが、仕事の手を休めるわけにもゆかず、(いや、内心僕は話すのを躊躇する自分がいた)黙って仕事を進めていた。この静寂の時が僕の一番後悔する瞬間となってしまった。
言葉に詰まったかに見えた息子は(ホンマはお父さんが言うてくれるべきやろう)という雰囲気の中で、意外にあっさりと言った。「妹ね、ちょっと障害があるんですよ。だから多分結婚はしないというか、出来ないと思うんですよ」と。奥さんはこれまた意外に「あ〜、そうやったんかあ!実はなわたしの友達の所もな・・・」と障害者に纏わる具体的な話をし、その接し方や悩みや廻りの人の温かさや・・・いろんな話を息子相手に始めた。
僕はトイレの中で、自分の愚かさを悔いた。(何を恥じているのだろう。何を隠して生きているんだろう。障害者を持つ親として真っ正面から向き合った生活が出来てないなあ。娘や息子にホントに申し訳ないなあ)と心底思った。
廊下で奥さんの声がした。「お兄ちゃん、優しいなあ!わたし感動するわ!」この言葉に僕の愚かな行動は救われたような気がした。そして何よりも息子の素直な勇気が僕は嬉しく、輝いて見えた。僕は息子に一本も二本もとられたような気がした。
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