よみがえる想い出(2)
広島時代。僕はいつものように徒歩でT氏宅へ向かっていた。一週間前にその日の夕方に訪問の約束をしていた。チャイムを鳴らしても応答がないので、不審に思いながら玄関ドアーを開けた。「ごめん下さ〜い!」
雰囲気がおかしい。奥の部屋から奥さんが出てきた。表情にこわばりがあり、明らかにいつもと違う。「あがって・・・」部屋に入ると、そこら中ひっくり返っていて、どうやら荷造りの最中というのは察しがついた。「どうしたんですか〜?」
この家はシャキシャキの奥さんで持っている。奥さんは隅っこのテーブルに手招きして、「引っ越すのよ」「えっ!どうして?」
「訳は後で・・・とにかく今日中に出なくちゃ・・・」「え〜・・(これって夜逃げじゃん)」出そうになった言葉を飲み込んだ。「申し訳ないけど手伝ってくれる?」「ハイ・・・」
まさか夜逃げの手伝いをする羽目になるとは・・・。「ご主人は?」「一回目の荷物運びに行ったとこなのよ」小学生の男の子はどこまで理解してるのか分からないが、黙々と自分の荷物をまとめている。とにかく言われるままに僕は荷造りを始めた。
大きな家具は運び出せる時間的、物理的余裕もなく、トラック2台分の荷物を暗闇の中を運び出した。近隣の人達が見ていたのかどうなのかも見渡す余裕もなかった。僕はトラックを運転して、助手席の奥さんの指図に従った。横目で彼女を見ると、綺麗な細面の彼女の目にはうっすらと涙がにじんで見えた。
どこをどう走ったのかも分からないまま、引っ越し先に到着した。前の家とは明らかに違う貧相な借家と見た。荷物を家の中へ無茶苦茶に運び込み、僅かに空いたスペースに電気コタツを置き4人で入り込んだ。
僕は何も聞かなかった。ただ「僕はここに居てあげなくては」という思いだけだった。僕の存在だけでもコタツとは違う温かさがあるのではと真面目にそう思ったから。
人の良さそうなご主人は終始無言だった。彼の事業の失敗が原因というのは、聞かなくても察知できた。気丈な奥さんの精一杯の強がりが余計に僕の胸を締め付けた。
その夜は小さなコタツに掛け布団をして、4人で雑魚寝した。僕はこんな事ぐらいは慣れっこだったが、この家族にとってはおそらく初めての経験だろうし・・・そんな事を考えているととても寝付かれる状態ではなかった。暗闇の中、隣の奥さんも天井を見つめたまま泣いているように感じられた。「恭子さん、がんばって!」心の中で励ます僕だった。
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