わたなべあきおWeb

よみがえる想い出

岡山時代、僕がバイク事故で床に臥していた時、彼女から分厚い手紙が届いた。僕の身の回りの世話をして下さっていた、姉さんみたいな若奥さんが、「名前が書いてないわよ、きっとイイひとからね。開けてあげようか」と言いながら,封を切った。

中には十枚もの彼女の顔写真が入っていた。わざわざ写真店に撮りに行ったと思われるもので、全部目の焦点は僕を見つめていた。そしてみんな「大丈夫?痛くない?」と問いかけていた。

横の彼女は「へえ〜、美人ね〜。このしあわせもの!」と言いながら、チョットすねたふりをした。目の上と左手首の包帯を取替ながら、「早く良くなあ〜れ!」と言って、人差し指でおでこをチョンとつついた。打撲で身動きのとれない僕は、ただ苦笑いするしかなかった。でもずっとこのままでいたい気持ちもあった。

お産のため帰郷していた彼女が横須賀へ帰る日、僕の枕元に来てうとうと気分の僕の頬にチュっと口づけをした。僕が目を開けると、急にお姉さん口調になってまた「早く良くなあ〜れ!」と言った。

彼女は僕が本部に帰ってからも、(吉城文子)という仮名で手紙をくれた。二年くらい文通したと思う。年は近かったけど、僕には母親のように思えた。また彼女の文面も母親そのものだった。

テレビの「この人に会いたい!」に申し込んだら逢えるだろうか?目の縁と左手首の傷跡を見るたびに、そんな妄想に駆られる。僕には母のぬくもりは実感としては残っていないけど、母は時代時代に色んな人に託して、僕を守ってくれてるかのように思えてならない。ありがとう!お母さん!

(Update : 2004/02/02)