わたなべあきおWeb

手紙(1)

元来人間として【心の渇き】とも言うべきものがあるのが普通だと思います。そうした渇望もなく、生きてきた道程を【しあわせ】という言葉で括ってしまうのは、人生を語るにはちょっと勿体ないような気がします。

偉そうに言うわけではありませんが、この年になったからと言って、人生観(価値観)の転換を試みることは、ちっとも恥ずかしい事ではないと思います。間違ったとまでは言わなくても、これまで信じてきた【ものさし】を、一度視点を変えて、取り替えてみるのも良いのではないかと、僕は思うのです。

まったくの受け売りですが、ひと言で言えば【何のために(誰のために)生きるのか】に尽きると思います。もっと言えば【利己愛】なのか【利他愛】なのかだと思います。よく「自分がこんな状態なのに、なんでひとの事まで考えなくちゃならないのよ」というひとがいますが、僕は逆だと思います。「稼ぐに追いつく貧乏なし」と世間では言いますが、僕は逆だと思います。「稼ぐに追いつく貧乏あり」です。

僕は【しあわせ】って、自分から追いかけて掴みに行くものではないと思います。勿論(しあわせ)の定義の問題もありますけどね。格好つけて言えば、人様や社会(世間)のために自分の丈いっぱい尽くさせてもらえば、いわばその【ご褒美】として戴けるものではないでしょうか?ご褒美を自分から取りに行ったら、あげようと思っておられる側(天・神・仏)も「や〜めよ、やらんとこ」って思われるのではないでしょうか?ちょっと傲慢な言い方ですが。

お金でもない、物でもない、名誉でもない、何物にも代え難いのが、このご褒美ではないでしょうか?

とは言いながら、僕もたいしたことしてないんですよ。ただそうありたいと思ってるんです。そして国家とか社会とか地域とかいうレベルじゃなくて、たとえば【仲間(グループ)】【職場】【サークル】など、そんなレベルで実践できたらなあと思うのです。【一隅を照らす存在】っていうんですかね。その中の太陽的存在に、これ見よがしにじゃなくて、さりげなく、でもあたたかい、支えとなる存在を目指したいと思うんですよ。

ほんと偉そうに言ってますけど、僕はまだまだ自分が可愛い、至らない人間なんですよ。でも繰り返しますけど、いま、方向転換しても、別に恥ずかしい事じゃないんですよ。これは自信を持って言えます。一度そんなものさしで考えてみて下さい。きっと灯りは見えてくると思いますよ。(経験者語る)ですからね。

またお便りします。

(Update : 2004/01/18)