一日おじいちゃん
暮れに夫婦別れが決まった姪がやってきて、転宅準備のため赤子をちょっと預かって欲しいとのこと。突然の珍客に、にわかじいちゃん、にわかばあちゃんとなった。
二十何年ぶりの赤ちゃんを抱く感触。満更でもない。はいはいするまでのこの時期が一番かわいいのかも知れない。寝るのが仕事とばかりに、スヤスヤと僕の腕の中で眠っている。
わが家の息子どもは、適齢期などどこ吹く風で、何の気配もない。一体実の孫を抱くのはいつのこととなるのやら・・・。
それにしてもかわいい寝顔を見つめながら、ふと思った。「お前には何の罪もないのになあ・・・」この乳幼児期が人間形成の上で最も大切な時期とされているのに。しっかり育ててよ!逞しく育てよ!と無言の赤子に語りかけた。もちろん僕は僕の立場で最大限フォローはしてやるつもりだけれども。自分の二の舞は体験させたくない気持ちでいっぱいだった。
生後一年くらいで人間の脳はほぼ形成され、性格もこの時期にほとんど決まってしまうと言う話しを読んだことがある。【無意識のなかに核が形成される】と言うのだ。この時期に夫婦が荒れていたとか、家庭が混乱していたとか、事件が発生したとか・・・すべて子供の人間形成に決定的な(ときに致命的な)影響を与えてしまうと言う。それは成長してからいくらもがき悩んでも解消されるほどなま易しいものではないという。この説を我が身や廻りに照らし合わせてみれば、なるほどと実感する部分が多々ある。ほとんどが手遅れ状態。もちろん残りの数パーセントに回復力は秘められているのだけれども、よほどの忍耐努力を要する作業である。
あまり悲観的なことばかり考えていると、よけい可愛そうになってくるので、よし俺がそこの部分をカバーしてやろうと意気込んではみるものの、所詮現実の壁は厚く、これからいろいろ難問奇問が押し寄せてくるんだろうなと、また考えてしまう。
今日は引っ越しのお手伝い。俺の足腰を気遣ってくれるやつは誰もいない。悲しい現実。されど、行かねばならぬこの辛さ。
姪の娘
|