わたなべあきおWeb

年賀状

 新聞を読んでいて、世の中には、僕と同じ考えで、同じ事をするひとがいるんだと思った。
 
 有吉玉青(作家)のショートエッセイが載っていて、「年賀状」について書かれていた。同感かつ同じ事をしている自分がおかしかった。と同時に「そうなんや、俺も!」とひとり納得してしまった。

 「文面もさることながら、宛名もまた印刷されてくるものが多く、年々、年賀状はDM(ダイレクトメール)の風情を呈してゆく。」
 「・・・そして、元旦にポストを開けてみると、書いた人からはあまり来ず、来たのは書かなかった人ばかり。苦笑しながら、世の中ってこんなものかなあ、と思った。思う人には思われず思わぬ人に思われるという世の摂理(?)を、毎年、年の初めに認識したのである。」
「・・・ひと言も添え書きのないものに至っては、自動的に送られてくるのだから、こちらは出さなくてもいいのではないかと思い始める。」(うん、そうだ、そうだ!)
「かくして年賀状を書き終わらぬまま越年。一月一日、DMが来る。それでも、もらうと嬉しいのが年賀状だ。出さなかったら来年から来ないかも知れない、パソコンの名簿から抹消されるかも知れないと思うとやおら寂しくなって、松の内はひたすら年賀状を書くことになる。」(まったく同じです。この僕も)

 われながらおかしな心境だと思うのだが、暮れのギリギリまで年賀状を買わなかった。もうやめようと思ったくらいだ。ところがやはり有吉さんと一緒で、結局上記のこととなる。お中元お歳暮でも同じような考えがはしる。虚礼廃止?う〜ん難しいなあ。

 最後にだめ押し。
「人とは、たとえ年賀状のやりとりだけであろうとも、つながっていたいものだという思いを、自分の内にあらためて知る。」

(Update : 2004/01/05)