わたなべあきおWeb

「母親は家庭の太陽である」

 僕の信奉する哲学者・森 信三先生の教育論のなかに、このコトバがある。
 ★「母親は家族の一員ではない・・・」というのは、実は「母親は単に家族の一員だけに留まるのではない」という意味だからであります。
 ★お子さんにとっては「わが家へ帰る」ということは、じつは「おかあちゃんの処へ帰る」ということに外ならないのであります。
 ★ですから、母親が家にいないということは、お子さん方にとっては、わが家が無くなったのと同じわけであります。つまり、もし母親がいなかったら、わが家はあっても、それは文字通り空き家同然なのであります。そしてここにこそ私が、「母親は単なる家族の一員ではない」と申した真意があるわけであります。
 ★つまり幼いお子さんにとっては、母親はこの世の一切であって、その他の人々と同様に考えることはできないのであります。
 ★まさに母親は一家の太陽であります。

 僕が永遠に求め続けるであろう【母】。先生の言われる【太陽】を求めて生きてきた。現実にそこに母はいなくて、心の奥底では泣いていたのかも知れないが、顔は常に笑っていた。本能的にその笑顔こそが、母の歓びだと信じていた。母はここにいる。僕のすぐ傍にいる。その思いが、くじけない、ひねくれない、の支えになってきたように思う。
 僕の女性観は、年上の人であれ、年下の人であれ、常に太陽イメージを持っている。それをマザコンの一言で片づけられると、僕は黙り込んでしまうのだが・・・。認めるというのではなくて、解ってはもらえないだろう・・・という意味で。
 欠落はむしろ宝に値すると、僕は思っている。普通の人に見えない部分が僕は見える。感じられる。響いてくる。そこに母を見る。母を感じる。母の胸の鼓動の響きを受け止める。
 もう淋しいとか、悲しいとか・・・言ってる年ではない。でも誰かが言ってくれたように、「いつまでも【稚気=少年の輝き】は忘れないで持ち続けて」いきたいと思う。

(Update : 2003/12/30)