わたなべあきおWeb

年末騒動顛末記

 【餅つき】身体の不調で大丈夫かと心配していた大切な恒例行事は無事終えることが出来た。例年だと二斗搗いていたのだが、だんだんお餅そのものが珍しくなくなり、みんなの食べる量も減ってきて、今回は一斗二升に減った。(アリガタヤ、アリガタヤ)相も変わらず僕が手返し役で、二人の息子が搗き役となった。女性陣は湯沸かし役、蒸し役、捏ね役、あんこつめ役と布陣は万全。今回も粟餅、豆餅も搗きあがった。なんと言っても搗いている間に食べるおろし餅が最高だ。
 途中で新聞の集金のおっちゃんが来て「これは珍しい!私も昔は・・・」とひとしきり自慢話をして帰った。餅そのものより家庭での餅つきが珍しくなったのだろう。
 今使っている臼と杵は、飛騨高山の欅で作られた逸品で、三年前に義弟が山登りのついでに立ち寄り契約購入したものだ。良いものを大事に長く使う・・・彼のポリシーはここでも生きている。
 【離婚】この年末も後三日と言うときに、とんでもない話が飛び込んできた。と言っても、ある程度は予想されたことではあるが・・・。きのう一緒に餅つきに来ていたのに、今朝になって姪が離婚することになったという。乳飲み子ひとりいるというのに。そもそも結婚自体が衝動的というか、半分家出結婚みたいなもので、親同士の正式な挨拶もない結婚であった。それでも何とかという廻りの心配りで、格好だけは整えたのだが・・・、やはりダメだったかと言うのが僕の正直な感想である。我慢が足らないと言うか、軽く考えていると言うか、もうこれ以上はお手上げです。お好きなように。と言いながらまた面倒見るんだろうなあ。
 【資産家哀れ】暮れも押し迫った今日、一本の電話あり。かなりの資産家として有名な家のお嬢様。と言っても僕と同世代だが。電話では何なので・・・言われて出向くと、びっくり仰天の話ばかり。結論的には、身から出た錆とはいえ、資産すべてが人手に渡りなおかつまだ負債を抱え込むという。豪邸は早くも取り壊し作業が進み、近隣のこれまた曰く付きの住居に身を寄せる家族。張本人の父上は特殊病院、母上は生活保護で一人住まい、残された夫婦と息子がその家に。
 頼まれごとは、僕にしてみればアホらしい事なのだが、当の本人は違う。解体中の建物に残された物品に未練があり、了解をとったから、僕の仕事に関連するものを取り外して欲しいとのこと。
 名家と言われ、財も名も成し、優雅に暮らしてきた一家のなれの果ては、見るに忍びなかった。そして何よりも感じたのは、人間の執着心、欲心(業欲)のすさまじさ。そして一家の因縁(因果応報)。人の一生、帳尻は必ず合うようになっている。晩年に暗い悲しい帳尻合わせが来ないように、〔足ること〕〔分〕を知って、欲張らず、慎ましくされど明るく生きて行きたいものだと、しみじみ考えつつ家路についた僕なのでした。

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写真は餅つき風景

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息子たちの勇姿!?

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(Update : 2003/12/30)