友よ
30代の頃、ある人(お坊さん?)に言われた。「なかなか【知己】に巡り会うと言うことは、難しいことなんですよ。一生かかって会えるか会えないか・・・。それは親子であったりもするんだけどね。もし巡り会えた人はその人生は幸せだね」
その時は薄ぼんやりと聞いていたのだが・・・、今頃何となくというか、実感できるような気がしている。よく(こころの師)とか(無二の親友)とか言うけど、それもどの程度まで自分を解ってもらっての存在なのか、疑問符付で考えてしまう。
僕なりの解釈で言えば、良いも悪いもズバリ直言してくれる存在。しかし、待つときは何年でも待って、今がチャンスと思う時に、そっと優しく包み込んでくれる存在。会っても会わなくてもコトバは要らない、すべて通じ合う、解り合う存在。
長年無意識のうちに、そんな存在を求めて生きてきたのかも知れない。それは肩書きでもなく、性別でもなく、続柄でもなく、すべてを超越した中に存在すると、僕は思っている。
この娑婆世界に生きている以上、仕事上であれ、趣味の世界であれ、関わり合う人達はたくさんいます。しかし、その中に(友)と呼べる、ましてや(知己)と呼べる存在はなかなかいないものです。そう思ってた人でも、時に我の押し売りであったり、独り善がりや、表面的なジェスチャーというのも、意外と多いものなのです。
そして、もっと難しいと思うのは、果たして自分が誰かのそういう存在になれるのか?ということだと思います。
意外と、すっごく身近に居たりするかも知れません。未だ巡り会えていないのかも知れません。
僕はこの人だ!と思える人が現れたと思っています。しかし、自分の方がその資格に相応しいのかどうか、自問自答している段階なのです。お互いでなくては意味がないと思うのです。
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