視覚的には、画一な文字に見えるかも知れないが
感覚的には、感情のままの殴り書きである。
相手は自分自身と断言していい。
主体たる自分に
第二の分身が語りかける。
第三の第四の自分が鋭い眼差しを向け
過激な反論を繰り出す。
こんな問答が
夢の中でも延々と続く・・・。
僕は僕自身だと言いながら
いくつもの自分が鋭い問いを投げかける。
「おまえ、いくつだと思ってるんだ?自覚・・・あんのかよ?」
<人生は、いつも青春・・・いつも心の流離い>
「何をキザなこと言ってんのさ。いい加減〜己を確立しろよ」
<中途半端なまま固まった人間にはなりたくないのさ>
<小っちゃく固まんなよ〜って言ったのはお前だろ?>
僕自身、そんな感情を抱いたつもりはなかったのだが
「振り回された」「戸惑った」「対処不能」の場面が
あまりにも多かった。
季節の移ろいの周期なら、十分に対応できたかもしれない。
それが、「昨日の今日」とか「朝と夜」というような
心と言葉の変遷は、僕を混乱させ言葉を奪い去った。
僕の中では、「病」と結びつける要素は皆無だった。
むしろ、周りの声や評価にこそ不信を抱いていたくらいだ。
どんな症状であれ、ひたすら「聞く」ということに
僕は集中したし、僕の中で出された答えをさらに抽出して
これだという答えを言葉に託したつもりだった。
何度思ったことだろう。嘆いたことだろう。
言葉の虚しさを・・・言葉の無力を・・・
まるで自分が試されているような疑念が
湧いては消え、また湧き上がってきた日々。
「励ましては逆効果だ」という説も耳にした。
「ひたすら聞いてあげることだ」も実践した。
向き合えば向き合うほど・・・
<純>と<狂>が交錯した。
<陽>と<陰> <ハイ>と<ロー> <躁>と<鬱>
さっきの答えと全く逆のことを言葉にしている僕がいた。
僕は、そのたびに兄を思い出していた。
十分経験済みのはずだったが、十人十色百人百色が
明白な答えであり正解はどこにもなかった。
食い尽くされて、吸いつくされて
干からびた僕の残骸が
夏の終わりを告げる雨に晒されていた。