僕が21〜23歳のころ、英会話教室へ通っていた時の先生がステファニィーという名のアメリカ人女性で、個人授業も受けるほどの関係だったことは、以前にもどこかで書いたと思う。
彼女はSという日本姓があったので、ミセスというのは分かっていたのだが、その旦那が当時かなり有名な(アンダーグランド的世界ではあるが)ロックバンドのヴォーカリストだったということ知ったのは、随分と時を経て読んだ花村満月の小説の中に、その名が登場した時のことだった。(このこともどこかで書いた記憶がある)
今日、そのバンドのギタリストの訃報を目にして、改めてweb上で検索してみた。そこで分かったことは、彼女(先生)は、僕が教室をやめた翌年くらいにアメリカへ帰国したということだ。
まだずっと京都にいるのかな・・・というほのかな思いを抱き続けていたので、ちょっと落胆した自分だった。
ローリングストーンズ、スバル360、ブロンズヘアー、小学校漢字ドリル、
様々なことが蘇った。おそらく当時の彼女の取り巻きは、僕とはまったく正反対に位置する環境だったに違いない。僕がそれらしき風体をしていたとしても、それはあくまでもカジリであり、真似事にすぎなかった。ドラッグに象徴されるような危険地帯(?)に、彼女は間違いなくいたはずだ。
やや自惚れ的に言えば・・・まったく対極にいる僕という存在が、彼女には新鮮に映ったのではあるまいか?・・・と。
帰 省
「やれ、帰ったかい!暑いのを〜」
「水・・・浴びんかね」
いつ帰っても、父は必ずこう言った。
水浴び(行水)なんて言葉は、父親世代までだろう。
今なら、「シャワーでもせんか」的な感覚だな。
言われた通りに水浴びをして、扇風機の前で涼んでいると
いつの間に出かけたのか、麦わら帽子を被った父が帰ってきた。
手には大きなスイカがぶらさがっている。
「よう冷えちょうけん、食わぁや」
とにかく父はよく歩く。
バスの3〜4停留所くらいの距離はスタスタと平気だ。
長寿の秘訣は脚力・・・たしかにそうだと思う。
歩けなく(歩かなく)なったら見る見るうちに老化は進む。
しばらくすると台所で何やら音がする。
見ると、素麺を手早く湯がいてザルに移し替えている。
父は長年、義母の介護をし続けているから、何事も手際よい。
男のおおざっぱさは仕方ないとしても、ちょっと真似のできないことだ。
僕がテレビで高校野球のの中継を見ていると、父は・・・
広告チラシの裏の白いのを束ねたものに、何やら鉛筆を走らせている。
いい句が浮かんだのか・・・
久しぶりに帰った息子の横顔でもデッサンしているのか・・・
こういうところは見習いたいなぁ〜と思う。
トンボつり
宍道湖とは逆の山手の方に、小さな集落があった。
そこに同級生がいて、夏休みにはよく遊びに行った。
小川では、メダカやアメリカザリガニを捕り、田圃の畦道ではトンボ釣りをした。
狙いはもちろんオニヤンマで、ふつうのトンボを細い糸にくくって、
笹竹を振ってオニヤンマを待った。
上手く後ろに飛んで来たら、ゆっくりと地面に向かって旋回させた。
降りたところで素早くタモを被せて成功!
林の中では、セミ捕りをした。
僕は透明な羽のクマゼミが好きで、けっこう根気よく探し回った。
アブラゼミやニーニーゼミ(?)にはまったく興味がなかった。
あれは何年生の夏休みの終わりだっただろうか?