わたなべあきおWeb

背景の記憶(68)

       〜風呂敷〜

 「おまえ・・・教科書を学校に置いたままなんか?」父に言われた。あれは小学校の五年生だったろうか。担任の先生から父に連絡があったようだ。父はそれ以上は何も言わず、問い詰められることはなかった。父も教師なのだから何かあってもよさそうなものなのだが・・・。しかし、そういう父でもあった。

 当時、ランドセルで通学する生徒はどれくらいの割合だったのだろうか?手提げ袋だったのか風呂敷だったのか定かではないが、家の都合で学区外から通学していた僕には、重い風呂敷包みが億劫だった。ただそれだけのことだ。

 しかし、今考えれば・・・予習復習は?宿題は?どうしていたのだろう?学級委員をしていたとはいえ、特別に成績抜群でもないのに・・・。一時期だけのちょっとした怠け心だったのだろうか。


         〜面子〜

 僕の中学時代は最悪だった。入学と同時に父も同じ学校へ転任してきたし、同じ一年生の他クラスの担任だった。生徒にも先生にも<わたなべ先生の子>の眼差しが常にあったし、なんとも言えない窮屈な三年間だった。

 高校進学を控えた三年生のある学期末試験の時、上位五十人が掲示発表されたことがあった。運悪くと言うか・・・僕のクラスの級長が家庭の事情かなにかで転校してしまい、委員だった僕にその代役が回ってきてしまった。

 委員のままならどうってことはなかったのだが、級長となると成績発表のことが気になった。ましてや親父のこともある。親子ともども変な面子を意識した。いや、父にはそんな意識はなかったのだろう。僕が勝手に親父の面子を考えたに違いない。

 当時の一学年は11クラス。副委員長の女の子を含めて、悪くても22番以内にいなくては面子が立たない。そう考えてしまった僕だった。

 テストが終り、各科目の答案用紙が返され、国語の答え合わせの時、僕は間違っているのに丸のついている個所を見つけた。先生に申し出て点数は96点になった。

 いよいよ発表の日、僕は予想以上の順位にある自分の名前を見つけた。複雑な・・・しかしどこか爽やかな気持ちだった。父は何かを感じてくれたのだろうか?

(Update : 2010/08/09)